ひつじの説明書。

ーヘルス・本・イギリスのいろいろを発信ー

3.11 今日を精一杯生きようとおもった最初の日

3/11、東日本大震災から13年。

今年初めにも大きな地震があり、あのときの恐怖を思い出した方は多いのではないでしょうか。

 

わたしは当時、実家のある仙台に住んでいました。

まだ社会人1年目で大学病院に働いており、患者さんがお風呂からあがって、鼻のチューブを交換している最中に地震がありました。

8階にいてかなり揺れる構造だったので、思わず立っていられませんでした。

鼻のチューブは一度抜けてしまうと内視鏡で入れなければいけないモノだったので、患者さんの鼻をつまんで身体を支えながら、地震に耐えていました。

そのときにおもわず無意識に「まだ死にたくない!」といってしまったのが、自分でも驚いたこと。

 

はじめて死を覚悟した瞬間でした。

 

そして、地震がおさまり、病院では状況把握が始まりました。

教授たちは病棟に集まり、ラジオでニュースを聞き始めた時、津波速報が入り、到達時間は15:00。時計をみたら15:02。みんな無言に…

とにかく手術中の患者さんもいたので、術後の患者さんを階段で病棟まで搬送。

大きな被害を考えて、救急センターに物資を運んで、交代制でヘルプへ。

でも、その日はほとんど患者さんは来ず。

こんな大きな地震なのにけが人がいないのはおかしい…と話していたら、ラジオから海側に200~300人の死体が打ち上げられていると。

ほとんどの犠牲者は海側とのことで、医師たちは海側へ行くことになりました。

 

わたしは家が仙台だったので車で帰りましたが、実家が他県で一人暮らしている看護師は病棟の床で数週間仮眠を取ることになりました。

その後、津波で被害を受けた病院の患者さんをヘリ搬送で大学病院に連れてくるぐらいしかできず、医師たちがいった海側でも津波でのまれた方たちはほとんどが亡くなっており、海側の病院に残された患者さんを診るぐらいしかできなかったと聞きました。

 

13年たったいまでも、あのときのことは鮮明におぼえています。

あのとき、多くの方が自分の「生」や「死」について深く考えたのではないでしょうか。

わたしはその後難病になり、また「生」や「死」について考えるきっかけがありましたが、地震でも、難病でも、必ず明日があるとはかぎらないということを、考えさせられました。

スティーブジョブズも、「もし今日が人生最後の日なら、今日やることは本当にしたいことなのか。」と毎日問いかけていましたが、そういった気持ちで生きるべきなのかもしれません。

また、普段の生活は決して当たり前のことではないこと、感謝すべきことなんだと日々心に留めておくことも大切だなとおもいます。

 

わたしは、とにかく楽しくいきること、少しでも人の役に立つこと、それができれば最後の瞬間人生すこしでもまっとうしたと思えるかな。

きっと後悔のない人生なんてないでしょう。

でも後悔よりも全力で走り切ったなぁとおもえたら上出来かな。

 

地震からまだ13年。

風化させずに、当時の状況や地震対策などを後世に伝えていきたいですね。

 

↓陸前高田にボランティアに行ったときの写真。